おまえはもう書かれている

先人の知恵は偉大なり。

強行採決

安保条約改定案が自民党の単独審議、単独強行採決がなされた。これにたいして国民は起って、解散総選挙によって主権者の判断をまつべきだととなえ、あの強行採決をそのまま確定してしまっては、憲法の大原則たる議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと二千万人に達する請願となったのであります。しかるに参議院で単独審議、自然成立となって、批准書の交換となったのであります。かくて日本の議会政治は、五月十九日、二十日をもって死滅したといっても過言ではありません。かかる単独審議、一党独裁はあらためられなければなりません。また既成事実を作っておいて、今回解散と来てもおそすぎると思います。
浅沼稲次郎浅沼稲次郎の三つの代表的演説」)

 

ファッシストの何よりも非なるは、一部少数のものが〈暴〉力を行使して、国民多数の意志を蹂躙するに在る。国家に対する忠愛の熱情と国政に対する識見とに於て、生死を賭して所信を敢行する勇気とに於て、彼等のみが決して独占的の所有者ではない。吾々は彼等の思想が天下の壇場に於て討議されたことを知らない。況んや吾々は彼等に比して〈敗〉北したことの記憶を持たない。然るに何の理由を以て、彼等は独り自説を強行するのであるか。

彼等の吾々と異なる所は、唯彼等が暴力を所有し吾々が之を所有せざることのみに在る。だが偶然にも暴力を所有することが、何故に自己のみの所信を敢行しうる根拠となるか。吾々に代わって社会の安全を保持する為に、一部少数のものは武器を持つことを許されその故に吾々は法規によって武器を持つことを禁止されている。然るに吾々が晏如として眠れる間に武器を持つことその事の故のみで、吾々多数の意志は無の如くに踏み付けられるならば、先ず公平なる暴力を出発点として、吾々の勝敗を決せしめるに如くはない。

或は人あっていうかも知れない、手段に於て非であろうとも、その目的の革新的なる事に於て必ずしも咎めるをえないと。然し彼等の目的が何であるかは、未だ曾て吾々に明示されてはいない。何等か革新的であるかの印象を与えつつ、而もその内容が不明なることが、ファッシズムが一部の人を牽引する秘訣なのである。それ自身異なる目的を抱くものが、夫々の希望をファッシズムに投影して、自己満足に陶酔しているのである。只管に現状打破を望む性急焦躁のものが、往くべき方向の何たるかを弁ずるをえずして、曩にコンムュニズムに狂奔し今はファッシズムに傾倒す。冷静な理智の判断を忘れたる現代に特異の病弊である。
河合栄治郎二・二六事件に就て」)

 

ゼルコフ「一体どうするんだね、この始末は……」

大統領「どうするもないさ。余は余の既定方針に基き、それを強行するまでだ」

ゼルコフ「ちょっと待ってくれ。余の既定方針強行は元気があってよろしいが、しかし実際はどうなんだい。わが艦隊の損害は少くないぞ。ダイホンエイ発表なんか、かなり遠慮して発表してある。それにも拘らず国民は騒いでいる。もし本当の損害を国民が知ったら、どういうことになるだろう」

大統領「小出し発表、遅延発表でないかぎり、国民を無用に失望させてよろしくない。真珠湾で、それはもう試験ずみだからね。今度も、その方式でやっている。これが最善の方法だ」

ゼルコフ「宣伝方法を問題にしているのではない。わが艦隊の弱体化の影響について、君の反省を促しているんだ。今はまだ目に見えて戦局に影響していない。それは今回の総力比島攻撃に用意した物量が非常に大きかったから、その惰力で今は敵を押しているのだ。しかし後二週間経ち三週間経つと、この影響は深刻に戦闘力の上に加わってくる。君は、太平洋に同胞のミイラを多数製造するつもりではなかろうな」

大統領「わが物量は、日本の生産数量に比し、絶対に圧倒的である。余は物量を以て、完全に日本を屈服させ得るという信念を今もって堅持している」

ゼルコフ「困った信念だ。そういう信念は、対日戦の現段階に於て、一日も早く訂正さるべきだ。日本軍及び日本国民を物量だけで屈服せしめることは出来ないのだ。敢えて訊くが、日本軍の体当り戦法に対して、われは適確なる防禦を未だに持っていないではないか」

大統領「適確なる防禦法は、豊富なる物量を持って押すことだ。攻めるも護るも、これで押徹せばよいのだ。遅疑逡巡すれば、そこに破綻が生ずる。君がそういう国家の不利益を、この上もたらさないことを望む」

ゼルコフ「なんだって。そんなぼんくらな考えで大統領でございと納っていられてたまるものか。おれはこれを委員会へ警告しておくからな」

大統領「それは御随意に。余が大統領である以上、それを余の最善と信ずる方向へ向けるのは蓋し当然のことだ」

ゼルコフ「待て。きさまを大統領にしたのは誰だか知って居ろう。国民じゃないぞ。われわれの委員会だぞ」

大統領「余は大統領である。誰が余を大統領に選定したにしろ、余は大統領たるの職権を信ずるところに従って振うばかりである」
海野十三「諜報中継局」)

 

ほかの都市については多く知らないが、今の熱海の市長は人材であろう。去年の熱海の大火のあと、彼は熱海銀座と三階以上の建築は鉄筋コンクリートでなければならぬ、という断乎たる命令をだした。安直手軽なバラックで営業再開をもくろむのは人情で、市民の大半はゴウゴウと反対したが、彼は断々乎として命令をひるがえさなかった。

それが当り前というものだろう。こりることも知らねばならぬし、焼けた以上は焼けたことを利用し、善用するのが当り前の話さ。易きにつきたがるのは庶民の常だが、政治家はそれぐらいの人間性は知らねばならぬし、焼けた以上はこれを計画的に利用して理想の一ツでも行うのが当り前の話だ。

十年たッたッて鉄筋コンクリの熱海銀座ができるもんか、と市民がブウブウ怒っていたが、わずか一年後の今日、鉄筋コンクリの熱海銀座は既に完成に近づいているのである。

熱海市長のこの処置は当り前の処置なのである。戦争だろうと火事だろうと利用できるものは利用して、計画的により良い新作品を工夫するのが当り前じゃないか。けれども、この当り前のことが日本では珍しいのだ。通俗な庶民感情を押えて断行するだけの洞察力も信念もない政治家や市長が普通だ。彼らが庶民感情を抑えつけて強行断行することは、庶民の利益には反するが、自分の利益になることが主である。熱海市長が断行したのはそのアベコベのことである。市民の当座の利益には反するけれども、やがて熱海にとって地の塩たるべき計画性ある根本的な施策であった。奇も変もない当り前の根本的なことであるが、この当然なことが他の焼跡のバラック都市では殆ど見ることができないのである。
坂口安吾安吾の新日本地理」)

 

* 剛直漢掃部頭井伊直弼は、安政五年四月、大老職に就くや、矢継早に、反動的な改革を強行して、勤皇の志士の憤激を買つた。

殊に、将軍継嗣問題と通商条約問題とでは、井伊の傲岸不遜は言語に絶した。

当時の輿論たる一橋慶喜を将軍世子に就けることに反対して、紀州慶福を推したことと、勅許を待たずして日米条約に調印したことである。

孝明天皇は、その非礼に、いたく逆鱗あらせられ給うたのであつた。

天下の志士の井伊弾劾の叫びは、嵐の如く捲き上つたのである。

この時、井伊の輩下たる間部詮勝長野主膳は志士の裏を掻いて、京都のアンチ井伊の主魁と目された頼三樹三郎・山岡慎太郎梅田雲浜等を捕へた。

次いで、志士追及の疾風は、枯葉を捲くやうに、京洛の地を払つた。
菊池寛「二千六百年史抄」)

 

戦争犯罪人というものの行為が及ぼした害悪の大さと深さとにおどろかれる。それらの人々は、経済的に、政治的に祖国を破綻させたとともに、民族の道義をも難破させた。戦争を強行するためには、すべての人民が、理不尽な強権に屈従しなければ不便であった。その目的のために、考え、判断し、発言し、それに準じて行動する能力を奪った。外的な一寸した圧力に、すぐ屈従するように仕つけた。無責任に変転される境遇に、批判なく順応するように何年間か強いて来たのであった。日本人が今日、当然もつべき一個人としての品位と威厳とを身につけていないことを外国に向って愧じるならば、それは、現代日本の多数の人々を、明治以来真に人格的尊厳というものが、どういうものであるかをさえ知らさないように導いて来た体制を、今なお明瞭に判断しつくし得ていないという点について、より慚ずべきであろうと思う。
宮本百合子「その源」)