おまえはもう書かれている

先人の知恵は偉大なり。

夏の食事

昆布とろというのは、昆布とかつおぶしの煮だしだけでつくるとろろ汁である。夏の朝、食事の進まないようなとき、あるいはなにを食っても口が不味いとき、またはなにも口に運ぶ気が起こらないときなどに、これをこしらえて熱い御飯にかけて食うと、まずは大概美味い美味いで、日ごろの三杯飯は、知らず知らず五杯飯になること請合いである。
北大路魯山人「昆布とろ」)

 

徹夜をして頭がモウロウとしている時は、歯を磨いたあと、冷蔵庫から冷したウイスキーを出して、小さいコップに一杯。一日が驚くほど活気を呈して来る。とくに真夏の朝、食事のいけぬ時に妙である。

夏の朝々は、私は色々と風変りな朝食を愉しむ。「飯」を食べる場合は、焚きたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き。
林芙美子「朝御飯」)

 

喫茶店の清潔なテーブルへすわって熱いコーヒーを飲むのも盛夏の候にしくものはない。銀器の光、ガラス器のきらめき、一輪ざしの草花、それに蜜蜂のうなりに似たファンの楽音、ちょうどそれは「フォーヌの午後」に表わされた心持ちである。ドビュッシーはおそらく貧血性の冷え症ではないかと想像される。
寺田寅彦「備忘録」)

 

初夏の空気に夏みかんが現はれ、八百屋が黄いろく飾られる。一年中に一ばん酸つぱい物がこの季節に必要なのかもしれないが、すこし酸つぱすぎる。その次は可愛い新じやが。小さい物は生物も青ものもどれも愉しい。びわ、桃、夏のものは林檎やみかんほど沢山はたべられない。吉見の桃畑も今では昔のやうにおいしい水蜜を作らないのかと思ふ。遠方からくる桃は姿が美しくつゆけも充分あるけれど、東京のものほどすなほな味でない。五月六月七月、私たちのためにはトマトがある。どんなにたくさん食べてもよろしい。同時に胡瓜。この辺ではつるの胡瓜も、這ひずりのも、すばらしい物で、秋までつづく。茄子は東京も田舎も、冬の大根と同じやうに日本風のあらゆる料理に最も奥ふかいうまみを持つてゐて、一ばん家庭的な味でもある。
片山廣子「季節の変るごとに」)

 

この鰺は船頭が、魚の游泳層を見てくれるから、コマセを撒いて、脈をとつてゐればよいのであるから、ゐれば誰れにでも釣れる。只愉快なのは、沖膾といつて、釣りたての鰺を皮をむいて、生醤油のまま沖でむしやむしやとやれる事だ。少しも臭くない。この味をしめるともう陸の刺身などは食へなくなる。鮎の背越しもよいが、鰺の沖膾は先づ夏の珍味の一つであらう。もちろん鯖などもやつて見るが、シマアヂに限る。何の沖釣りでもさうであるが、海で食べるものは一切うまい、オゾンで腹が空くのか、後で後悔するほど人はたべる。といつて船暈はたまらないが、度々行くうちには船暈など先づ先方から逃げてゆく、そこが又沖釣りの爽快さである。
佐藤惣之助「夏と魚」)

 

れいしは、あちらこちらの家でも、わざわざ棚をかいてつくっていたが、ぼくの家でも、毎年夏になると、父がれいしの棚をつくって、そこにぶらさがったのをもぎっては、チャンプルーにしたものである。沖縄では、赤くなったれいしは食べない。青いうちに、チャンプルーにして食べるか、あるいはうすくきざんで、砂糖をきかせた酢の物にして食べる。

なお、沖縄の豆腐はかたいので、チャンプルーにしても水気がなく、出来上りがさらっとしている。東京の豆腐でつくるときは、布巾でよくしぼって、豆腐をかたくしてからつくるとよい。
山之口貘「チャンプルー」)

 

世は今、いみじき事に悩み
人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり
われら心の底に涙を満たして
さりげなく笑みかはし
松本楼の庭前に氷菓を味へば
人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
かすかに耳なれたる鈴の音す
われら僅かに語り
痛く、するどく、つよく、是非なき
夏の夜の氷菓のこころを嘆き
つめたき銀器をみつめて
君の小さき扇をわれ奪へり
君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
われは物言はむとして物言はず
路ゆく人はわれらを見て
かのいみじき事に祈りするものとなせり
あはれ、あはれ
これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
よしや姿は艶に過ぎたりとも
人よ、われらが涙をゆるしたまへ
高村光太郎「涙」)