ブログの書き方 2015春
おれは締切日を
(芥川龍之介「葱」)
ここにおいて最も純正なブロガーは、彼と同一の頭脳組織を有し、同一の精神生活をなし得る人間が、更にその自己を客観視し得る自意識の所有者であらねばならぬ。
(北條民雄「覚え書」)
自分の問題を自分のそとにとり出して作品としての客観的存在を与え、それを真剣に追究して行って、作品の世界で到達した点まで自分の生活を押し出し、そこから次の生活を展開させよう
(宮本百合子「作品と生活のこと」)
(三)鋏君、
鋏わこれを聞いて、
(鋏)なるほど、次第によってわ貸すまいものでもないが、一体何を切るのだ。
(三)ちっと
(鋏)大抵なものなら
(三)そうか、そんなら磨がしてくれたまえ。痛かろうけども頼まれたが因果だ、ちっとの間辛抱頼む。
(巌谷小波「三角と四角」)
トントンピーピのわるとびは、ぬすんだおくつをひからせて、あかいぐみのみをねにつけ、白いおひげをはりつけて、はりつけて、からかささしてやつてきた。あめもふらぬにかささして。
「ほんとにごりつぱなトンピーさん。トントンピーピのとんびさん。」
トントンピーピのわるとびは、としよりお家にほめられて、ほめられて、つんつんつんとそりかへり、
「としより家さんみておくれ。ひかつたおくつをみておくれ、あかいかざりをみておくれ。まつしろおひげをみておくれ。からからからかさみておくれ。」
(村山籌子「トントンピーピ」)
彼らは一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一切り取るようなことがあると、これを恥とした。
(岡倉覚三 村岡博訳「茶の本」)
然し彼はいはゞブロガーではないのだらう。ブログといふものを、何を書くか、書き唄はずにゐられない性質の天来の作家ではなく、ブログを手法的に探し、新手法といふものに照し合せてブログらしきものをデッチあげてゐる
(坂口安吾「観念的その他」)