おまえはもう書かれている

先人の知恵は偉大なり。

ゴールデンウィーク2015

四月末から五月初めへかけて色々な花が一と通り咲いてしまって次の季節の花のシーズンに移るまでの間にちょっとした中休みの期間があるような気がする。少なくも自分の家の植物界ではそういうことになっているようである。

四月も末近く、紫木蓮の花弁の居住いが何となくだらしがなくなると同時にはじめ目立たなかった青葉の方が次第に威勢がよくなって来る。
寺田寅彦「五月の唯物観」)

 

スクルージが眼を覚ましたときには、寝床から外を覗いて見ても、その室の不透明な壁と透明な窓との見分けがほとんど附かない位暗かった。彼は鼬のようにきょろきょろした眼で闇を貫いて見定めようと骨を折っていた。その時近所の教会の鐘が十五分鐘を四たび打った。で、彼は時の鐘を聞こうと耳を澄ました。

彼が非常に驚いたことには、重い鐘は六つから七つと続けて打った、七つから八つと続けて打った。そして、正確に十二まで続けて打って、そこでぴたりと止んだ。十二時! 彼が床についた時には二時を過ぎていた。時計が狂っているのだ。機械の中に氷柱が這入り込んだものに違いない。十二時とは!

彼はこの途轍もない時計を訂正しようと、自分の時打ち懐中時計の弾条に手を触れた。その急速な小さな鼓動は十二打った、そして停まった。 「何だって」と、スクルージは云った、「全一日寝過ごして、次の晩の夜更けまで眠っていたなんて、そんな事はある筈がない。だが、何か太陽に異変でも起って、これが午の十二時だと云う筈もあるまいて!」
(ディッケンス 森田草平訳「クリスマス・カロル」)

 

社会のその宿命的な約束から逃れようとする人間の往来で、街上は朝の明け方から夜中まで洪水のような雑踏を極めている。わけても、新宿駅前から塩町辺にかけての街上一帯は日に日にその雑踏が激しくなるばかりだ。
(佐佐木俊郎「或る嬰児殺しの動機」)

 

おもちゃ屋の店には武者人形や幟がたくさんに飾ってある。吹流しの紙の鯉も金巾の鯉も積んである。その中で金巾の鯉の一番大きいのを探し出して、小兵衛は手早くその腹を裂いた。

「さあ、このなかにおはいりなさい。」

弥三郎は鯉の腹に這い込んで、両足をまっすぐに伸ばした。さながら鯉に呑まれたかたちだ。それを店の片隅にころがして、小兵衛はその上にほかの鯉を積みかさねた。
岡本綺堂「鯉」)