おまえはもう書かれている

先人の知恵は偉大なり。

選挙カーの走る未来より

ああ、小鳥が啼いて、うるさい。今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。私がここへ駈け込む途中の森でも、小鳥がピイチク啼いて居りました。夜に囀る小鳥は、めずらしい。私は子供のような好奇心でもって、その小鳥の正体を一目見たいと思いました。立ちどまって首をかしげ、樹々の梢をすかして見ました。ああ、私はつまらないことを言っています。ごめん下さい。旦那さま、お仕度は出来ましたか。ああ楽しい。いい気持。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖れることは無いんだ。卑下することは無いんだ。私はあの人と同じ年だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小鳥の声が、うるさい。耳についてうるさい。
太宰治「駈込み訴え」)

 

今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが自らの名を叫んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。
中島敦山月記」)

 

「昨日は御主人は酔って御帰館でしたな」
「ええ。ふだんは飲まない人ですのに」
「ハハア。ふだんは飲まないのですか」
「選挙の前ごろから時々飲むようになったんですよ。でも、あんなに酔ったことはありません」
「なぜでしょう?」
「分りませんわ。選挙がいけないんじゃないですか。立候補なんてねえ」
「奥さんは立候補反対ですか。よそではそうではないようですが」
「それは当選なさるようなお宅は別ですわ。ウチは大金を使うだけのことですもの、バカバカしいわ。ヤケ酒のみのみ選挙にでるなんて変テコですわよ」
「ヤケ酒ですか、あれは?」
「そうでしょうよ。私だって、ヤケ酒が飲みたくなるわ」
「なぜ立候補したのでしょう?」
「それは私が知りたいのよ」
「なにか仰有ることはあるでしょう。特にヤケ酒に酔ッ払ッたりしたときには」
「絶対に云いませんよ。こうと心をきめたら、おとなしいに似合わず、何が何でもガンコなんですから。なにかワケがあるんでしょうが、私にも打ち開けてくれないのです」
坂口安吾「選挙殺人事件」)

 

私はこの度の総選挙に全く黄白の力が駆逐されて言論に由る政見の力が選挙民の良心を感動させることを望む意味から、どの候補者も卓越した政見の発表に努力し、どの選挙民も進んで候補者の政見を傾聴しようと心掛け、口頭の能弁に誤られることなくして、その言論の表示する政見の価値を第一に批判することの習慣を作って欲しいと思います。
与謝野晶子「選挙に対する婦人の希望」)